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2010年02月
矢野園茶師が語る 『「化け草」と40年』
(02/27)
第1回
株式会社矢野園 製造部・西村末良(57歳)
弊社製造部で長年にわたって最終工程を担当している西村末良。
手のひらでお茶と語り続けてきた名人の思いを聞きました。
■この業界に入ったきっかけは?
兄が埼玉でお茶の小売りをしていました。その関係で私もお茶を習ってみようと思ったのがきっかけです。埼玉は狭山茶が有名ですが、そこで2、3年修業しました。その後、宇治に来させていただきました。毎日が勉強勉強でしたが、気がつくと、お茶の世界に入って41年目になります。
■修業時代に教わったことは?
お茶は“化け草”やとよく言われました。たとえば茶葉の色。朝と夕方とでは色が全然違います。天候によっても変わります。本当のお茶の色は晴れた日の朝の光の中で見るのが一番自然なんです。
湿気でもお茶は化けます。荒茶を仕上げていくのが私の役割ですが、大敵は湿気です。わずかでも湿気が入ってしまうと、茶葉がすぐに変色します。お茶って生き物なんです。だから、品質管理だけは徹底してくれと先輩方から教えられてきました。
■優れたお茶の条件とは?
ベスト3を挙げるなら、香り、味、形状です。これはどんな種類のお茶でも一緒です。
まず香りというのは、火入れの温度の加減が大きなウエイトを占めます。茶葉の状態を見極め、気温と湿度も考え、瞬時に温度や時間を決めます。これは勘というか、経験によるところが大きいかなと思います。
味については茶園の管理が大切です。とくに肥料ですね。油かすなどを使いますが、どの段階でどの程度与えるかということです。余談ですが、本玉露を作る場合は竹で柱を組み、茶樹の上にヨシズと藁をかぶせるんです。そうすると雨などで藁の成分が茶に移ります。それを茶摘みさんが手摘みしていきます。できたお茶は何ともいえないほど、まったりした旨み、香りがあります。深みのある味を出そうとしたら、やはり昔ながらの作り方が一番だと思いますね。もちろん、量は限られますが。
3番目に形状です。仕上げの段階で葉と茎と粉に分けます。これも熟練した勘が必要です。
■仕上げ作業で難しい点は?
私たちは仕上げのことを「再生」と言っています。この段階で難しいことは先にも言いましたが形状を整えるということです。機械に荒茶を投入するタイミング、ふるいにかける網の番数や時間の判断。これらはお茶の状態や天候によって変えなければなりません。
■後輩に対して一言。
当たり前のことですが、清潔で、丁寧な作業をすること。昔と違い、今は多くの作業が機械化されています。ですから、ケガがないよう、安全な作業をということをいつも念頭に置いて指導しています。
■西村さんの今後の抱負は?
これからも皆さんに宇治の美味しいお茶をお届けしたいと思います。しかし、どれだけ勉強しても、お茶というのは奥が深い。これだけやってきても完璧なものに仕上がったなと思うことは滅多にありません。どの作物もそうですが、私たちの仕事は自然が相手です。人間一人ひとりの顔が違うように、お茶の顔も毎年違います。難しいけれど、それだけに面白みのある仕事だなと感じています。
■一番美味しいと思う一服は?
何と言っても、仕事が終わったときに飲むお茶が美味しいです。最中や羊羹を食べながら、ほっとひと息というのが私には最高の一服です(笑)。※西村末良が作業をしている『仕上茶の製造工程』については、こちらをご覧下さい。http://uji-yanoen.com/?page_id=13
宇治茶タイムトラベル『明恵上人と栄西禅師』
(02/27) 明恵上人と栄西禅師
湯呑みを片手に宇治茶の時空の旅へとまいりませんか?
今回は日本茶が文字どおり国民のお茶となったルーツをたどってみました。すると、2人の重要な人物が浮かび上がってきます。
孤児として育った伝道者
承安3年(1173)正月8日、一人の赤子が紀伊国有田郡石垣庄吉原村(現在の和歌山県有田川町)で産声をあげました。幼名は薬師丸。母は土地の豪族・湯浅宗重の娘でした。父の名は平重国といい、京都の武者所に勤めていました。武者所というのは上皇の御所を守る機関で、今日のシークレットサービスに近いものです。
上流階級の子として生まれ、何不自由ない生活を送っていた薬師丸ですが、治承4年(1180)、8歳の誕生日に病気で母を亡くし、その年の9月、父が上総の国(千葉県)で源頼朝の軍と戦い、戦死してしまいました。
両親を失った薬師丸は、母方の親戚である崎山良貞に養われました。貴族から武士に政権が移ろうとしていた時代です。そうした大変革を薬師丸も実感していたかもしれませんが、世俗を捨て、9歳で京都の神護寺に住む伯父の文覚上人を頼ります。
そこで勉学と修行に励み16歳で出家し成弁という名の僧になりました。尊称は明恵上人です。
彼は釈迦への思慕の念が深く、天竺(インド)の文化にも強い憧れを持っていました。
茶を持ち帰った僧侶
明恵上人、つまり薬師丸が生まれるより時を遡ること5年。仁安3年(1168)4月、博多を出帆する一隻の船がありました。客は27歳の明菴栄西。
栄西が渡海を望んだ時代は、遣唐使などの大陸渡航が絶えて300年の月日が経ち、決死の覚悟と資財を要する一大事でした。しかし、困難にもかかわらず、彼は海を渡り入宋に成功します。同年9月、天台の経巻60巻を携えて帰朝しました。
その後、釈迦八塔を礼拝したいという願いを抱き、再び渡海。宋からインドへ渡ろうとしますが、あまりの治安の悪さから断念。そして4年後の建久2年(1191)に帰国しました。
この2度目の渡航の際に持ち帰ったものが茶の種(実生)でした。栄西はお茶の素晴らしさに気づき、日本に茶生産を広めようとします。またその薬効を知らせるために、『喫茶養生記』を著します。この書物は上下2巻からなり、茶の薬効から栽培適地、製法まで、細かく記された日本茶初のバイブルです。
栄西と明恵の出会い
その後、禅宗を広めていた栄西の元に、京都栂尾
に華巌宗の興隆を願って、高山寺を中興した明恵が訪ねてきます。親交を深めた栄西は、明恵に茶の薬効を話し、喫茶をすすめ、茶の実を譲りました。
明恵はそれを大切に栂尾に植えました。今も栂尾には明恵上人による最初の茶畑が残り、由緒正しき「本茶」として永らく尊ばれています。
さて、このとき栄西は栽培適地として宇治、大和、伊勢、駿河、武蔵の5カ所を明恵に伝えます。明恵上人は、やがて高僧となり、仏の教えを学びながら弟子たちに茶のありがたみを伝授。やがて、宇治をはじめ全国に茶樹が移植されるようになりました。 時は流れて江戸時代、宇治は湯屋谷に住んでいた永谷宗円という人物が宇治茶に画期的な製法をもたらします。それについては、また次回の「宇治茶タイムトラベル」で。
エッセイ『父親の背中』
(02/15) シリーズ ~お茶のある風景1~
『父親の背中』
親、とりわけ父親は背中で子どもに物事を教えると聞いたことがある。子どもの頃、父親の背中を見た記憶はあまりない。父は鉄工所に勤めていた。時代は高度経済成長期で、そのせいか毎日残業が続き、家の扉を開ける音が聞こえるのはいつも深夜だった。そして、私が起きる時間より早く出勤する。日曜も働いていた。帰宅はいつもより少し早いが、酒に酔って帰ることが多かった。そのときはまだ上機嫌だった。寿司折りを土産に帰宅すると、私をあぐらの中に抱え、またビールを空ける。休みが取れたら一家三人でハワイに行くかと夢のような話をしていた。
父親は働き続けた。参観日には一度も来なかった。不満だったわけではないが、そんなに働いていて何が楽しみなのだろうと思った。
やがて、バブルが弾けた。鉄工所は人員削減のリストを作り始めた。「俺の腕がこの工場をここまで大きくしたんや」と豪語していた父だったが、そんな時代ではなかった。機械はコンピュータ制御に変わり、もう職人の技術が問われる時代ではなかった。父親は2回目の人員削減リストに入っていた。
父親は警備保障会社に再就職した。私は東京の出版関係の会社に就職した。その年に母親はガンで亡くなった。
冬、半年ぶりに車で帰省してみると、激しい雨の中、父親は道ばたで誘導灯を振り続けていた。歩行者やドライバーに頭を下げながら、迂回を求めている。バックミラーの中、父親の背中が遠ざかっていく。それはひどく小さくて、寂しく、それでいて体温を感じさせる背中のように思えた。
灯りのない家の前に車を止め、近所の寿司屋に行く。父親がよく通っていた寿司屋だ。大将は代替わりしていた。店の雰囲気もがらりと変わり、今は人造大理石のカウンターを置いた寿司バーというものになっていた。奥から以前の大将が顔を出す。
「よお、○○ちゃん、お帰り。親っさん、医者に酒を止められてから一度もこっちに顔を出さんようになったんや。また、来るように言うたってや」と。…初耳だった。
以前、父親がそうだったように深夜になって帰宅した。手には寿司折りまで持っている。「帰ってきたんか」。父親は卓袱台の前に座っていた。細くなった背中を丸め、母が使っていた湯呑みで熱いお茶をすすっている。家族を支えるために一生懸命に生きてきた父親の背中だった。(ハワイにでも行こうか)、急須に新しい茶葉を入れながらそう思った。
真心で淹れる煎茶
(02/01)お茶は心を込めて淹れることが大切です
煎茶には日光を充分に浴びた露天栽培の茶葉が使われます。摘み取られたばかりの茶葉は、蒸すことで発酵を止め、揉みながら乾燥させて仕上げます。
揉むことで茶葉に出来た“より(ねじれ)”が、湯を注いだときに開いてお茶の旨みが出るのです。
煎茶には荒茶加工段階の蒸し具合で普通煎茶と深蒸し煎茶があり、品質によっても中級と上級に分かれます。
矢野園では煎茶の種類でお茶の淹れ方を変えるのではなく、お客様の好みで淹れ分けることをおすすめしています。例えば、熱いお湯で淹れると渋みが出るため、渋いお茶が好きな方にはベスト。また、食事をするときには、渋めのお茶がマッチします。
しかし、基本は湯冷ましをかけたお湯を注ぐこと。煎茶は清涼感のある瑞々しい香りが特徴なだけに、香りを楽しむならやや高めの80℃、お茶本来のまろやかさや旨みを味わうなら70℃位が適温です。
また、ひとくちに煎茶といっても、メーカーや産地で茶葉に特徴があります。矢野園では火入れ乾燥の工程で、渋みを感じさせないようなお茶づくりをしており、お茶の量を増やして、やや濃い目に淹れるとおいしさがいっそう引き立ちます。とはいえ、お茶の淹れ方の最大のポイントは、何といっても「真心を込めて淹れる」こと。お茶には淹れる人の思いやりが味に表れるのです。
※詳しい淹れ方はこちらをご覧ください http://uji-yanoen.com/?page_id=11
京都宇治で考案された香り高い茶葉、煎茶
(02/01)煎茶の歴史は宇治田原から始まりました
日本茶の消費量の約7割を占める煎茶は、日本人の間で最も人気のあるお茶です。その誕生は今から約270年前のこと。宇治田原で茶農を営む永谷宗円が、碾茶製法を応用した「青製煎茶法」を考案したことに始まります。
江戸時代、宇治では高級な碾茶栽培は、宇治の特定の御茶師にしか許されず、それ以外の茶農は「煎じ茶」を栽培していました。「煎じ茶」は乾燥した茶葉を煮出したものであり、「煎茶」の名の由来はここからきています。「煎じ茶」は色も赤黒く、味も粗末だったことから、何とかもっと良いお茶を作れないものかと宗円は考えました。
当時、宇治の庶民の間では、碾茶を製する際に選り分けられる折物(葉脈・葉軸)が煎じて飲まれていました。この煎じ茶には今のような揉捻作業が施されていないため、煮出すのに相当な時間が必要であり、水色も黄色でしたが、甘みと独特の香りを有していたのです。この風味の良さに気づいた宗円は、煎茶に碾茶製法の蒸した後に焙炉で乾燥するという工程の応用を思い立ちます。
元文3年(1738)、宗円は露天栽培の柔らかな新芽だけを摘み取り、蒸してから、助炭(熱源を持つ培炉台)の上で手揉みしながら乾燥させるという製茶法を編み出したのです。宗円はこの新しい製法による煎茶の販売を江戸の茶商・山本嘉兵衛に託します。すると、たちまち評判となり、宇治の煎茶は日本茶の一大ブランドになっていったのです。
お茶との相性がいい和菓子
(02/01) お茶を美味しく味わうのに欠かせないのがお茶請け。
なかでも、お茶の渋みに最も合うのが和菓子です。
しかし、茶葉によっては和菓子との相性も様々。
そこで、和菓子の種類に応じた、茶葉の合わせ方をご紹介します。
【上生菓子】じょうなまがし
茶席に欠かせない気品ある和菓子。舌ざわりがなめらかで上品な甘さの練り切りは、上質のお茶がベスト。上品な香りと甘み、なめらかな味わいが堪能できる抹茶、煎茶、玉露と組み合わせていただきたいものです。
【羊羹】ようかん
濃厚な甘さの練り羊羹には、香り高く、上質な渋みとコクのあるお茶が理想的。普通煎茶、芽茶、抹茶との組み合わせがおすすめ。蒸し羊羹や水羊羹には、その風味に合わせてお茶の淹れ方にも変化をもたせましょう。
【最中】もなか
香ばしい皮の中に餡を挟んだ最中は、しっかりとした甘さが楽しめる和菓子。その濃厚な味わいには、やはり濃いお茶が合います。上品な甘みとコクを持つ抹茶入り玄米茶をはじめ、抹茶、煎茶との相性がぴったり。
【どらやき】
焼いた生地に餡を挟んだどらやきは、香ばしさと強い甘みがあり、洋菓子のようなボリューム感があります。やや濃くて、高温で淹れた香り高いお茶との相性がよく、深蒸し煎茶、釜炒り茶、玄米茶がおすすめ。
【干菓子】ひがし
茶席では薄茶のお茶請けに出されます。落雁などの干菓子に使われる和三盆糖は、強い甘みが特徴。穏やかな香りと上品な甘さの抹茶、玉露、上級煎茶は、強い甘みの和菓子にもくどくならず、さっぱりといただけます。
【醤油煎餅】しょうゆせんべい
パリパリと香ばしい醤油煎餅は、ついつい手が伸びて何枚も食べてしまいます。こうばしい香りのほうじ茶は、さっぱりとした味わいでたくさん食べるおやつにマッチ。玄米茶、番茶とも相性抜群です。
【塩大福】しおだいふく
モッチリとした食感の塩大福は、甘みもしっかりしています。パンチの効いた風味には、渋みのある濃い目のお茶がぴったり。高温で淹れた煎茶、芽茶、かぶせ茶は、香り高く渋みの効いた深い味が楽しめます。
【薯蕷饅頭】じょうようまんじゅう
薯蕷、すなわち山芋を生地に練り込み、餡を入れて蒸した饅頭。茶席にも登場し、上用饅頭の呼び名もあります。フワッとした口当たりと上品な甘さは上質なお茶との相性がよく、煎茶、玉露、抹茶でいただきましょう。
(参考資料 山上昌弘著「知識ゼロからの日本茶入門」)