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日本グラフィックデザインの先駆け「蘭字 RANJI

浮世絵版画の技術が生んだ 輸出茶ラベルの美


幕末から明治にかけて、日本茶は生糸と並んで、和が国を代表する交易品として外貨を獲得。大正時代には輸出茶として最盛期を迎えました。その歴史をひも解くと意外な事実に突き当たります。

実は日本で最初に日本茶を輸出した人物は、長崎の大浦慶(1828~1884)という女性商人でした。2010年の大河ドラマ『龍馬伝』に登場したことでも知られています。

安政3年(1856)、大浦慶はイギリス人貿易商のウィリアム・オールトから巨額の注文を受け、1万斤(6000㎏)もの日本茶を手配してアメリカに輸出。

慶は若干30代にして膨大な富を得ます。しかも、その財力を惜しむことなく坂本龍馬をはじめとする幕末の志士達の支援にあてることで明治維新に大きく貢献したのです。

蘭字1

 

近代日本の夜明けに日本茶が一役買ったことは誇らしい限りですが、この輸出茶がもたらしたものに日本の近代アートの先駆けとなった商品ラベルとしての蘭字ラベルがありました。

蘭字とは中国の茶商が伝えた業界用語で「西洋の文字」という意味。しかし、実際の蘭字ラベルには、欧文、絵柄、飾り縁、罫など近代グラフィックデザインの要素がすべて盛り込まれています。

もっとも、日本茶の輸出が始まった幕末から明治初頭にかけては、茶箱にはもじのない花鳥画の木版画「茶箱絵」が付けられていたのですが、海外との取引が盛んになるにつれ、茶商たちはこぞって工夫を凝らした蘭字ラベルを作成し、茶箱に貼るようになったのです

蘭字2

この蘭字の作成を担ったのが、江戸時代から続く浮世絵工房の画工や彫師だったのです。19世紀半ば、日本の浮世絵工房の技術力は、世界最高水準のカラー印刷技術を誇っていたとされます。それだけに浮世絵の技術を生かした日本の蘭字は、欧米で本家・中国を凌ぐ人気を博し、その後の日本ブームのきっかけとなりました。

また、蘭字ラベルは輸出先の商社の注文によって作られたものだけに、蘭字の小さな枠の中には、輸出先の港や国などの詳細な情報が記されており、日本茶の文化史といった点でも見逃せません。

宇治茶の産地でも明治元年に神戸港が開港されたことにより、輸出茶としての役割を担いました。木津川・淀川の水運によって神戸へと運ばれ、アメリカやイギリスへと届けられた宇治茶。その茶箱にどんな蘭字ラベルが貼られていたのか、想像するだけでも夢が広がります。

 


資料提供(宇治茶ラベルを除く):公益社団法人 日本茶業中央会  http://www.nihon-cha.or.jp/
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