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 シリーズ ~お茶のある風景1~

『父親の背中』

 親、とりわけ父親は背中で子どもに物事を教えると聞いたことがある。子どもの頃、父親の背中を見た記憶はあまりない。父は鉄工所に勤めていた。時代は高度経済成長期で、そのせいか毎日残業が続き、家の扉を開ける音が聞こえるのはいつも深夜だった。そして、私が起きる時間より早く出勤する。日曜も働いていた。帰宅はいつもより少し早いが、酒に酔って帰ることが多かった。そのときはまだ上機嫌だった。寿司折りを土産に帰宅すると、私をあぐらの中に抱え、またビールを空ける。休みが取れたら一家三人でハワイに行くかと夢のような話をしていた。
 父親は働き続けた。参観日には一度も来なかった。不満だったわけではないが、そんなに働いていて何が楽しみなのだろうと思った。
 やがて、バブルが弾けた。鉄工所は人員削減のリストを作り始めた。「俺の腕がこの工場をここまで大きくしたんや」と豪語していた父だったが、そんな時代ではなかった。機械はコンピュータ制御に変わり、もう職人の技術が問われる時代ではなかった。父親は2回目の人員削減リストに入っていた。
 父親は警備保障会社に再就職した。私は東京の出版関係の会社に就職した。その年に母親はガンで亡くなった。
 冬、半年ぶりに車で帰省してみると、激しい雨の中、父親は道ばたで誘導灯を振り続けていた。歩行者やドライバーに頭を下げながら、迂回を求めている。バックミラーの中、父親の背中が遠ざかっていく。それはひどく小さくて、寂しく、それでいて体温を感じさせる背中のように思えた。
 灯りのない家の前に車を止め、近所の寿司屋に行く。父親がよく通っていた寿司屋だ。大将は代替わりしてessei1.jpgいた。店の雰囲気もがらりと変わり、今は人造大理石のカウンターを置いた寿司バーというものになっていた。奥から以前の大将が顔を出す。
「よお、○○ちゃん、お帰り。親っさん、医者に酒を止められてから一度もこっちに顔を出さんようになったんや。また、来るように言うたってや」と。…初耳だった。
 以前、父親がそうだったように深夜になって帰宅した。手には寿司折りまで持っている。「帰ってきたんか」。父親は卓袱台の前に座っていた。細くなった背中を丸め、母が使っていた湯呑みで熱いお茶をすすっている。家族を支えるために一生懸命に生きてきた父親の背中だった。(ハワイにでも行こうか)、急須に新しい茶葉を入れながらそう思った。

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